NHKの情報番組のリポーターで活躍中の副島淳さん。最初に知ったとき、名前と容姿のギャップに結構なインパクト!それに話しかたや所作はいったって誠実なんです。
あのマツコ・デラックスさんに「外見以外に外国人的な要素が見当たらない」と指摘されたほどに日本人なんですね。それにお父さんの母国後の英語は全くしゃべれない。
それには副島淳さんの生い立ちにも関係しており、辛い過去やとんでもないエピソードがあったようです。育った実家もなにやら不思議というか深イイ話があるような・・・そして外国人の父親についても探ってみました。
生まれは東京・蒲田というが…父親は誰?
副島淳さんは1984年7月18日生まれの40歳。父親はアメリカ人で母親は日本人で、東京都大田区の蒲田で生まれました。
蒲田には米軍基地はないので、沖縄や横須賀に駐留する米軍関係のアメリカ人ではないかも…調べてみると生まれたときに両親は籍を入れておらず、父親の顔を見ずに育ったそう。シングルマザーに育てられたんですね。
分かっているのは父親はアメリカ人で黒人ということだけで、それ以上は母親からも何も教えられていないということ。下の写真は副島さんが幼稚園の年長さんのときの写真。このころはまだ肌の色とかハーフということは気づかない活発な性格だったそうです。
お母さんにとってお父さんは行きずりの関係?…なんて勘ぐったのですが、副島さんが物心つく前に蒸発したと本人が語っています。そして副島さんのツイッターで妹と紹介するを女性を発見↓↓ 名前はヴァイオレットさんと紹介しています。
そういえばこの前オーディションで妹のヴァイオレットに会った!!
— 副島淳 (@JUNSOEJIMA) July 6, 2015
相変わらず賑やかな顔の二人(≧∇≦) pic.twitter.com/sGNRjYopzQ
ただあるインタビューで副島さん自身は「祖母、母と3人で暮らしていた」と言っています。妹として紹介しているのはこのツイッター投稿だけ。オーディションで偶然にも鉢合わせというのも違和感。おそらく兄妹ではなく妹のような存在という意味で使っていたんだと思います。
父は元芸能人?意外な有名人と血のつながりが!
父親はどんな人だったのでしょう? 2020年6月28日に放映されたフジテレビのバラエティ番組「日曜THEリアル!もう一度家族になりたい」で父親が明らかに!(番組放送後に追記)
この番組の企画まで、副島淳さんのお母さんは殆どアメリカ人の父親のことは口にしてこなかったそうで、父親について知っていることといえば、副島さんが芸能界に身を置くことになったときに「血は争えないわねぇ」とちらっと口にしたお父さんの情報。
その情報というのが『昔、日本で俳優をしていて戦隊物の悪役をしていた 』 というもの。たったそれだけでは企画が頓挫か…に軌跡が!いままで父親の情報について一切取材を拒否していたお母さんが始めてお父さんについて答えてくれました。
- お父さんとの馴れ初めは?
大学生のときナンパされました。 - お父さんと別れたのはいつ頃で、その理由は?
息子が生まれる前に、親の反対で別れた。 - 名前は?年齢は?
名前はビル・A・ドーシー(日本で俳優をしていた)
年齢はかなり年上だった。
父親のことはあまり言いたくはなかったのはなんとなく分かります。思春期の副島淳さんに包み隠さず話せばショックを受けるかも知れません。それでいままで「父親は物心つく前に蒸発」としか説明できなかったんですね。
そこで調べてみるとウィル・ドースィというビル・A・ドーシーさんらしき俳優が1984年放送の「宇宙刑事シャイダー」という戦隊物TVシリーズで悪役として出演していました。(本名はウイリアム・ドーシーだそうです。ウイリアムは「ウィル」とか「ビル」とかニックネームで呼ばれるので同一人物である可能性が…)
異母兄弟が高橋マイケルだった!
この方が実の父と判明したのは、当時の所属事務所の社長を尋ねたことから。実はお父さんは日本人女性と1~2回結婚もしていた。
そしてそのどちらかとの間に生まれた子供が日本のプロバスケットリーグ(Bリーグ)で活躍した高橋マイケルさんだったと。2017年にアイシン・シーホース三河を退団して現役を引退。いまはロサンジェルスに住んでいます。
高橋マイケルさんといえば、現役時代は全日本のメンバーでもあり新人王やMVPを何度も受賞した日本バスケット界のレジェンド。副島順さんより10歳年上。憧れのプロバスケット・プレーヤーがお兄ちゃんの可能性が!
番組の取り計らいでビデオ対談をすることになり、ほぼ間違いなく副島淳さんの父親はウイリアム・ドーシーさんだろうと。高橋マイケルさんにDNA鑑定をお願いしたところ…「副島淳さんと高橋マイケルさんは生物学的な同一父系」であることが判明!
つまり副島淳さんと高橋マイケルさんは異母兄弟で、父親は日本で俳優をしていたウイリアム・ドーシーだったことが明らかに。副島淳さん35歳にして自分の父親やお兄ちゃんを探し当てました。
お父さんは6歳のときに他界!
高橋マイケルさんによれば、父親のウイリアム・ドーシーさんは1990年頃に51歳の若さで他界。糖尿病の合併症だったそうです。1990年といえば副島淳さがまだ6歳のころ。そんな昔に亡くなっていたんですね。
副島さんが生まれた時、お父さん45歳だったんだ。で大学生のお母さんをナンパって…高橋マイケルさん曰く「お父さんには何人も子供がいるよ」ってさらっと笑いながら言ってました。
お父さんの周りにはいつも人がいて、とにかく「とても格好いい父だった」と語っています。そういう方だったんですね。なんか分かるような気がします。
ホントなの?幼少期に味わった経験…やはり!拉致監禁された!
福島淳さんの生まれは東京の蒲田なんですが、幼い頃は引っ越しを繰り返したいたそうです。そして小学校2年生のときにお母さんが再婚したと言われています。(実際には初婚ですが…)
これが大きな事件に発展。母親の再婚が嫌で勢いで家出してしまい事件となったのはこのあとのこと。
行くあてもないまま公園で野宿していると「アイス買ってあげる。うちに来ないか?」と救いの手が差し伸べられた…ならいいのですが、救いの手ではなく、実は金目的の拉致監禁だったと。
犯人は中東系の外国人。普通なら怖くてついて行かないですよね。葛飾あたりは外国人も多いのでしょうか?特に何の疑いもなく淳少年は犯人についていったそうです。ボロボロのアパートに連れて行かれ手足を縛られ監禁。そして電話番号を聞かれたんです。
なんと副島さんのお家はお金持ち?電話番号を聞き出した犯人は実家に電話をしたのですが…全く繋がらない。実は貧乏すぎて電話が止められていたんだそうです。それを知った犯人は同情し副島少年を開放。大事には至らなかったそうです。
なんか作り話のような?ネットでこんな逸話が流れています。日本人とはかけ離れた容姿のハーフの男の子を葛飾区で中東系外国人が拉致って。笑 どうも信じられません。
ホントなの?アカの他人のおばあちゃんと同居?
そんな家出騒動が一つの原因なのかもしれません。お母さんの結婚生活は1年足らずで破綻。離婚することに。
生活は貧乏のうえ、離婚で親子は路頭に迷うことになったのですが、そこで救いの手を差し伸べたのが、別れた旦那の母親・誼子(よしこ)さんといわれています。
血縁関係はないものの、一緒に住みましょうと言ってくれたそうです。誼子さんはお琴と三味線の師範代で “礼儀・礼節・お礼”の3つの礼や、世の中のマナーなどを教えてくれたといいます。
たしかにお母さんが離婚したときに、千葉県浦安市に引っ越していますが、どうも作り話ではないかと思います。
副島さんのインタビューでは、蒲田にいたときから「一緒に暮らしていたのは母と、琴と三味線の師範代である祖母。完全なジャパニーズカルチャーのもと、日本人として育てられた。」 と語っています。母親が小学校2年のとき結婚という話も出どころ不明で疑わしいです。詳細はこちら
カラードの転入生… 不慣れな土地でいじめられ
副島さんが自身の見た目について、深く考えるようになったのは、小学校に入ってからと語っています。「髪型が変だ」「肌の色が違う」といじめられるように。
それでも小学3年生で千葉県・浦安市に引っ越してからのイジメが強烈だったようです。団地が多い新興住宅地ではカラードの新参者への風当たりはとても強かった。
それまでは葛飾区のお花茶屋でした。とても平和で、無闇にいじめられたり、肌の色や背の高さを指摘されたりがあまりなかったんです。
(前略)日本人じゃないだろう? 英語でしゃべれよ!驚きましたよ。そんなに僕って違うのか……って。僕と同じスキンカラーの父親を知りませんからね、自分は人と違うって意識が弱かったんです。
引用:LIFULL STORIES
当然のことですが、小学生の副島少年は次第に引っ込み思案に…いつも教室の隅っこでできるだけ目立たないようにして「どうすれば仲間に入れてくれるのかな」と悩んでばかりだったそうです。
そしてお母さんを責める毎日。自分の感情をぶつけることができるは唯一お母さんだけだったのですね。
転機は中学校…居場所が見つかった!
そんな副島少年に転機が訪れたのは中学1年生のとき。高身長なのを買われてバスケットボール部に所属。全くの初心者だったが才能を開花。最終的には地区内で注目されるレベルの選手になれ「居場所が見つかったな」と感じたそうです。
おはようございます!!
— 副島淳 (@JUNSOEJIMA) July 17, 2017
本日7月18日!!
副島淳めでたく無事に33歳を迎えることができました!!
オギャーと産まれて、青春時代はバスケに費やし、なんやかんやで今はTVに出ることを生業にしております!!
うーん、人生わからんねー。
何卒これからも副島淳をよろしくお願いいたします! pic.twitter.com/Mfd2eeBdCo
上のツイッターでは中学時代の写真が投稿されていますね。高校・大学とずっとバスケット部に所属し大学時代はリバウンド王や得点王に輝くほどになっています。
それにお婆ちゃんから、礼儀にはうるさく躾けられたことも、部活では先輩たちからの印象にプラスに働いた。テレビでのリポーターでも流暢な日本語で礼儀正しいところは好印象。見た目のギャップは最初だけで、そのあとは忘れてしまうぐらいですから・・・
きっかけは「笑っていいとも」
いまはNHK「あさイチ」の火曜レギュラーやドラマや舞台に活躍するようになった副島淳さん。つい数年前まではアルバイトで生計を立てていたのですが、積極的にオーディションに参加するようになりじわじわと人気が出てきています。
見た目は外国人なのに、礼儀正しく滑舌の良い日本語を話す。強烈なキャラクターは役柄にはまれば適役そのものです。
画面デビューは「笑っていいとも」の素人出演枠から。学生当時に居酒屋でアルバイトしていたのですがバイト仲間にイケメンが。当時笑っていいともの素人さん紹介コーナーで「ウチのショップの王子様 ショップリ」というコーナーに紹介者として出演。
タモリさんはじめ出演者が注目したのはイケメンではなく副島淳さん。身長195cmのあまりのインパクトにそこから何週も連続で出演することになったのが芸能活動の切っ掛けでした。今のアフロの髪型も含めると身長はなんと210cm。インパクト大です!
大学卒業後はモデルとし活動を開始したのですが「パンク侍、斬られて候」という舞台に出演してから俳優にシフト。いまではレポーターとしてもマルチな才能で活躍しています。
まとめ
アフロヘアーで長身なハーフ俳優でタレントの副島淳さんは、
- アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。
- 父親は物心がついたときには蒸発しており、名前も顔も知らないままでいた。
- 蒲田で生まれたときから実家では、母親と祖母と3人で暮らす。
- 生まれは東京都大田区の蒲田。育ちは千葉県の浦安市。小学校3年まで引っ越しを繰り返していた。
- 小学校3年に千葉県の浦安市に引っ越すと、肌の色が違うことからいじめや差別の対象になった。
- 中学になると身長の高さからバスケットボール部にスカウトされる。まるっきりの初心者だったがめきめき頭角を現し「居場所がみつかったな」と…いじめから開放された。
- 小学校2年とき母親が結婚、家出したら拉致監禁されたなどの話は噂っぽい。
- 離婚した義父の母親と生活していたのは嘘のようだ。一緒にいたの琴と三味線の師範代であるお婆ちゃんはお母さんの実の母。
- 35歳にしてテレビ番組で実の父が判明。日本で俳優をしていたウイリアム・ドーシーさん。が既に副島淳さんが6歳のときに病気で他界していた。享年51歳。
- そして副島淳さんには異母兄弟が!日本バスケットリーグのレジェンドである高橋マイケルさんがお兄ちゃんだった!
見た目とは裏腹に日本語しか話せず、とても礼儀正しい副島淳さん。どんな俳優になるか楽しみです。最後までご覧くださり有難うございます。
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