ここ数年で急激に認知度を増し全国区となった俳優の山田裕貴さん。
役柄によって、闇を持った凶暴な役や頼りない青年役など見事に印象を変える演技力で若い俳優の中では数少ない「カメレオン俳優」と言われていますね。
そんな山田裕貴さんの出身はどこ?どのような家庭で育ったのでしょうか?
またプロ野球の始球式を行ったときのインタビューで山田裕貴さんが感動のあまり涙したらしいのですがとても気になります。
今回はそんな山田裕貴さんの出身校や経歴などのバックグラウンドや感動の涙の理由などに迫ってみます。
出身はあの「みゃー」っていう田舎都市!?
会話の語尾に「みゃー」といれる都市といえば…そう、山田裕貴さんは名古屋出身です。山田裕貴さんも地元ではそんな方言を使っているのでしょうか。特技である「機動戦士ガンダム」主人公アムロ・レイの声マネを名古屋弁でやって貰ったら面白そうですね(笑)
でも名古屋の知り合いに聞いてみると実はあの喋り方は名古屋市内ではなく三河方面や瀬戸方面など名古屋の郊外の言葉で、名古屋は尾張言葉といってもともとは上品な方言があったようです。
名古屋にいってみると通常の会話で「みゃー」は使わないらしく、友達同士でふざけあって自虐的に使う程度らしいです。それでも日常会話で「みゃー」を多様するのは名古屋出身ではないと言ってました。
みのもんたのバラエティ番組「秘密のケンミンSHOW」のショートドラマ「辞令は突然に」で使われる各地方の方言もどことなく極端に強調しすぎていて不自然さがある…あんな感じなんだと思います。
出身校はあの名門高校…
山田裕貴さんの出身高校は名古屋市内の私学である東邦高校。東邦高校といえば選抜高校野球の愛知県代表として何度も出場している野球の名門校です。そこで山田裕貴さんも高校球児として熱い汗を流し青春を過ごした…訳ではなく(ガクッ!)でした。
それでも小・中学校時代はプロ野球選手を夢見る野球少年だったそうです。特技は野球としているのに高校では野球を諦めバレーボール部に所属していたそうです。その理由は「プロ野球選手になれないから」というもの。
東邦高校などの高校野球の強豪校となると部員数は半端なく多く、地方から優秀な生徒をスカウトして寮生活で3年間を過ごす部員もいたり、ライバルが多く入部したらレギュラーになれるという保証もないですから。レギュラーになれないならほぼ完全にプロへの道を断たれたも同然。
でも野球が好きだから野球部を続けるという選択肢もあるのですが、山田裕貴さんの場合それだけプロになることにこだわりがあったとも言えます。そこにはなんとお父さんの影響があるようです。
山田裕貴の父親はプロ野球選手だった!
そう山田裕貴さんの父親は元プロ野球選手の山田和利さんです。現在は広島カープの二軍守備・走塁コーチをしていますが、高校は同じ東邦高校で当然ですが野球部。所属球団は中日→広島→中日と活躍した内野手です。
そのときの野球部は残念ながら甲子園には行けませんでしたが、お父さんはプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名で入団しています。
甲子園で活躍できなかったのにドラフト指名されるってことは、将来有望な選手であるとスカウトマンが目をつけていたんですから凄いことです。それも地元球団の中日ドラゴンズに指名されたというのは華々しいことだったと思います。
お父さんの山田和利さんは31歳で現役を引退。山田裕貴さんが6歳のときです。自分の父親がプロ野球選手といえばヒーローです。眩しかったんだろうと思います。このとき迷うことなく、自分もプロ野球選手になれるものと信じて野球に明け暮れていたんだと思います。
父親がプロ野球選手でその子供もプロ野球選手って長嶋一茂さんとかいるのですが、芸能界の二世タレントとはわけが違うのですから…それだけプロ野球の世界は甘くない。裕貴少年は小学・中学を通じてそれを痛感したのだと思います。
プロ野球を諦めてからの経歴。迷わず東京へ!
プロ野球選手になることを諦め、それでも趣味はスポーツ全般という山田裕貴さん。高校ではバレーボール部で汗を流していました。高校時代の卒業アルバムでの写真がありました。
イケメンです。野球をやっていた時は丸刈りでしたが眉なんかも細くしちゃってぇ!色気づいてます♡ 芸名は本名をそのまま使っているのですね。もうこの頃から役者になることを決めていたのでしょうか?
2014年の映画「ライブ」で初の主役に抜擢されたとき高校時代を振り返り「プロ野球選手になれないなと思い、高校でやめてしまったけど、悔しかった。有名になったろ、というのは人よりもあったかも」とコメントしています。
妹が背中を押してくれた!
父のように「有名になったろ」と思っても実際に役者を目指すことは頭に思い浮かばなかったようです。野球ばかりの生活をしていたのですから、まさか芸能界という選択肢は思い浮かばなかったようです。
芸能界に入る切っ掛けは妹さんでした。妹さんがタレント養成学校のワタナベエンターテイメントカレッジ(WEC)のオーディションを受けるよう勧めました。妹さんが背中を押してくれたんです。山田裕貴の進むべき道は役者だと。高校卒業と同時に東京のWECに進んでいます。
WECは2年制の学校で、卒業生には志尊淳、ブルゾンちえみ、イモトアヤコや最近人気の四千頭身なんかがいます。どちらかというとお笑い系で活躍の人が目立っているのかな?そんな環境があったから特技の「ガンダムのアムロ・レイの声マネで名言を言う」が生まれたのかも!
本人曰くは「いや、なんか…そういうことやっていかないと世に出ていけないのかなと…」と。これ真剣にそう思っているようです。田中裕貴さんの真摯な態度が伺えれますよね。
俳優デビューは2011年の「海賊戦隊ゴーカイジャー」
そして山田裕貴さんは2年の養成プログラムの卒業間際に芸能事務所「ワタナベエンターテイメント」に所属するためのオーディションでグランプリとなり2010年に芸能界入り。翌年の2011年に テレビドラマ『海賊戦隊ゴーカイジャー』のゴーカイブルー(ジョー・ギブケン役)で俳優デビューしています。
戦隊モノってイケメン俳優の登竜門。小さなお子さんを持つママさんたちの熱い支持を受けることにより大きく成長していくのですから。
始球式でのインタビューで涙した。感涙の言葉…
数々のドラマや映画に出演し、役柄の多様さから若手俳優の中では珍しく「カメレオン俳優」と呼ばれるようになった田中裕貴さん。2018年8月には名古屋ドームで行われた中日対ヤクルト線の始球式に登板することになります。
ユニフォームの背番号は父・田中和利と同じ30番。子供のころ憧れたプロ野球のスタジアムで見事ノーバウンドのど真ん中ストライクを披露。始球式が終わった直後のインタビューでは・・・
「野球をあきらめて俳優を目指してからの夢が、いつか始球式に登板することでした。今日は父が優勝した時に付けていた『30番』のユニフォームを着させていただいて、母も妹も、そして野球をやっていたころのチームメイトも見に来てくれました。親父の背中を追いかけていた頃を思い出しました」と語りつつ、思いがけず、涙が溢れることに。
シネマカフェ https://www.cinemacafe.net/
父親と同じプロ野球選手になれるものだと信じた少年時代。その野球をあきらめ俳優の道を選び「やっとここまで来た」自分を振り返り感無量になったのだと思います。
実際、俳優としてここまでやってきた過程に「悔しい想いをたくさんしてきた」と話しており、芸能界に入れたとしても、活躍できるのはその中の一握りだけだろうなと肝に銘じていたといいます。
受けては落ちてのオーディションの繰り返しで挫折しそうになったときでも「自分には無理じゃないか」とは絶対に口にしないようにしていたとか…そうしないと心が折れてしまうと思っていたそうです。
まとめ
以上、俳優の山田裕貴さんについて調べてみました
- 山田裕貴さんは小中学校時代はプロ野球選手を目指す野球少年だった
- 出身校は名古屋市で高校は野球の名門、東邦高校。
- 高校では野球をあきらめた。理由は「プロ野球選手」になれないと悟ったから。
- プロ野球選手になりたかった一番の理由は父親が元プロ野球選手の田中和利だから。
中日に東邦高校からドラフト4位指名され内野手として活躍。 - 高校卒業後の経歴はタレント養成学校「ワタナベエンターテイメントカレッジ」の入学オーディションを受けたことがキッカケ。実は妹のアドバイスで俳優を目指すことになる。
- 卒業間際に芸能事務所「ワタナベエンターテイメント」の俳優オーディションでグランプリとなり2010年に芸能界入り。
- 俳優デビューは2011年の『海賊戦隊ゴーカイジャー』のゴーカイブルー。
- 2018年8月のプロ野球「中日とヤクルト戦」の始球式に登板しインタビューで感涙した。
「野球をあきらめて俳優を目指してからの夢が、いつか始球式に登板することでした」
「親父の背中を追いかけていた頃を思い出しました」
これからもカメレオン俳優ぶりを発揮しどんな演技を披露してくれるか楽しみですね。期待しています!
最後までご覧いただきありがとうございます。
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