内野聖陽さん、私の好きな俳優でも一番といえるほどの俳優さんです。どんな役にもなりきってしまう俳優のことを「カメレオン俳優」っていいますが、そのなかでも本当のカメレオン俳優なのは内野聖陽さんだと思います。
カメレオンといわれる俳優さんは他にもいますが、荒々しい侍役、シリアスな医者、コミカルなゲイなどこれが同じ役者!?かと思うくらい内野聖陽さんそのものの姿を消してしまう俳優は少ないかと思います。
そんな内野聖陽さんをネットで検索すると実家は雲松院というお寺らしいんです。そして結婚や子供もいるそうですがプライベートが気になってしまいました。
実家は横浜のお寺「雲松院」で跡継ぎだった!
内野聖陽さんの実家は横浜市港北区にある曹洞宗のお寺「雲松院(うんしょういん)」というお寺です。三人姉弟の末っ子で長男として生まれました。本名も同じ内野聖陽ですが「うちのまさあき」と読みます。
デビューしてから18年間は本名と同じ読み方で芸名をとおしていたのですが、「聖陽」を「まさあき」となかなか読んでもらえないことから2013年に芸名を「せいよう」に改名したそうです。
私もネットで「へぇー『まさあき』っていうんだ」と調べたことがあるのですが、すぐに忘れて「聖陽」なんて読むだっけ?とむず痒い気持ちにさせられた経験があります(笑)
名前の由来なんですが、お父さんは雲松院の住職でゆくゆくは内野聖陽さんが住職を継ぐことを念頭に「聖陽」と名付けたそうです。「聖」という文字が「学徳の高い僧」とかいう意味合いがあるそうで生まれながらに僧侶を継ぐことが運命だったのですが…なぜか役者に!
大学で演劇との出会い!両親との確執も…
内野聖陽さんは実家のお寺を継ぐことを自然なことと受け止め中学・高校は実家と同じ宗派の曹洞宗の私立「世田谷学園」に進学しています。
お寺の跡取りが大学に進む場合、同じ宗派の大学に進学し僧侶の修行を始めるというのが普通な流れ。内野さんの宗派は曹洞宗なので、駒沢大学の仏教学部が有名です。
ですが内野聖陽の場合、成長するにつれお寺を継ぐことに抵抗感を感じ、親の反対を押し切り浪人してまで早稲田大学政経学部に進学しました。
一時期は国際的なジャーナリストを志したときもあったそうですが、大人になる過程で今までしらなかった世界に触れるにつれ「僧侶にはならない」という気持ちが膨れ上がったようです。決められた将来ではなく他の人生を歩みたくなったのでしょう。わからないでもないですよね。
そんなとき大学の英会話クラブ(ESS)に入り英語劇の舞台に立ったことが、演劇と出会いでした。内野聖陽さんの将来を決定づけることとなります。
演劇の魅力にとりつかれた内野聖陽さんは、在学中に文学座の研究生にもなり役者を志すことになりましたが、このころから両親との確執が出始めたそうです。
実家のお寺「雲松院」は戦国時代からのお寺!
実家のお寺「雲松院」は小田原北条氏の家臣である、菅原氏が大永5年(1525年)に創建した、戦国時代から続く由緒あるお寺で、本堂や山門などは横浜市の指定有形文化財になっています。
檀家もたくさんいるお寺でしょうから、跡継ぎ問題は内野家の問題だけでは済ませれないものだったようです。
住職のお父さんは2002年に他界したのですが、葬儀の席で「住職の跡を継ぐことはできません」とはっきり宣言したそうです。結局、お寺はお父さんの弟さんが継ぐことになったのですが、それ以来、お母さんとは絶縁状態だったそうです。
結局、父と子の確執は続いたままでの別離だったようです。お父さんにとっては由緒ある家系であるがために息子が望む将来を応援したくてもできない事情って難しいものがありますよね。
母親と絶縁状態で結婚、そして子供も
両親の望みを断ち切っての俳優への道に進んだ内野聖陽さん。お父さんとはほとんどケンカ別れの状態で離別。そしてお母さんとは絶縁状態のときに、内野聖陽さんは2006年38歳で結婚します。
お相手は元宝塚女優の一路真輝さんで同年に長女を授かっています。出会いは自ら初出演のミュージカル「エリザベート」で一路真輝さんと共演したことから。
初演の2000年から6年間の交際を経ての結婚でしたが、2011年に離婚しています。理由は内野聖陽さんが「役者バカ」だというのが有力な説のようです。
内野聖陽の役者バカぶり…離婚へ
内野聖陽さんの演技に対する情熱は半端なく、ドラマなどの出演が決まると役にのめり込んでしまい他のことに頭が回らなくなってしまうのだそうです。「役を誠心誠意掘り下げたい」と真摯に打ち込むため「本読みをするために自宅に防音の部屋を用意」しているほど。
これで新しい役作りで家庭が見えなくなってしまうことが度々。ホンモノのカメレオン俳優がゆえの行動なんでしょうが、奥さんの一路真輝さんとはこれが原因でケンカが絶えなかったようです。結果ストレスがたまり5年の結婚生活に終止符とつけることになったようです。
離婚の決定打はフライデー!不倫スクープ
一路真輝さんが離婚を決意したのは2010年にフライデーされた不倫現場のスクープだったといわれています。内野聖陽さんが運転する車中でのキスシーン写真が紹介されています。私が思うに内野聖陽さんの場合、自分が妻子持ちとか言う前に役者なんですよね。
実生活=役者生活なんだと思います。不倫キッスもなんとなく演技の延長線上のような感覚だったのでは?「役者バカ」なんですね。ちなみにこの頃には一路真輝さんとは別居状態だったそうで、家にいると一路さんとのケンカで芝居の稽古ができないというものでした。
やはり内野聖陽さんは俳優である以上、結婚はしないほうがいいのかも?
新しい彼女とは結婚間近?
内野聖陽さんは1968年9月生まれの56歳。誰もが認める魅力あるイケメン俳優さんだと思います。元妻の一路真輝さんとの結婚も、一路さんの猛アプローチで結婚に至ったといわれています。
そんな内野聖陽さんですからモテないわけがありません。そして案の定、2019年に内野聖陽さんの熱愛報道がされました。お相手は17歳年下の「小山あずさ」さんという女優の方。
出会いは小山あずささんが出演した舞台「サメと泳ぐ」の演出を務めた千葉哲也さんが内野聖陽さんの昔からの友人だったところから。熱愛が発覚する1年ほど前から交際がスタートしたようで、芸能誌のインタビューで内野聖陽さんは「大切な存在であり、親しくしている」と交際を認めています。
うーんそこまで素直に宣言されると「はい、そーでしたか」で終わってしましますが・・・笑。でも今回のお付き合いは、ちょっと違い実家のお母さんと小山あずささんが仲いいところ。
離婚を機に、母親と復縁?
あれ?お母さんと内野聖陽さんは絶縁状態だったのでは?そうだったのですが、2011年の離婚を機に内野聖陽さんは「ひとり身となり、子供と会えない寂しさを痛感」したそうです。そのとき初めて子を持つ親の気持ちに気づき「もう一度親子を始めよう」とお母さんに謝ったそうです。
いまでは内野聖陽さんの自宅近くのマンションに呼び寄せ、親子の縁を修復しているといいます。そんななかで、お母さんは新しい恋人の小山あずささんがお気に入りらしく、二人で過ごすこともあるという仲のなんだそうです。母親公認の息子の恋人なんですね。
娘と親子3代、水入らずの時間も
離婚した一路真輝さんとの長女は親権が一路さんにありますが、日頃から内野聖陽さんと娘を会わせるようにしているといいます。週末には内野聖陽さんの自宅に泊まりにくることもあり、そんなときはお婆ちゃんも呼び親子3代水入らずの時間も過ごしているといいます。
一方、小山あずささんとの間にお子さんができたって報道はありませんが、お母さんとの仲を小山さんが取り持つかたちで良い関係が続くといいですね。結婚という可能性についてはどうなんでしょう?小山あすささんは30代という若さですから、このままお付き合いがつづくのであればありえなくもないでしょうね!
まとめ
今回は内野聖陽さんの実家についてや、プライベートな結婚・離婚、そして子供のことなどについて調べてみました。
- 内野聖陽の実家は横浜の雲松院(うんしょういん)という曹洞宗のお寺。
- 内野聖陽は住職の長男で寺の住職を継ぐことになっていたが、早稲田大学に進学し役者に目覚めてしまった。
- 父の他界を機に「住職の跡を継ぐことはできません」と宣言し、母親とも絶縁状態に。寺は父親の弟が継ぐことになった。
- 母親と絶縁状態のときに、元宝塚女優の一路真輝と2006年に38歳のときに結婚。同年長女を授かる。
- 結婚5年後に破局・離婚となる。原因は内野聖陽の「役者バカ」が、演技に熱中するあまり家庭を顧みなかったこと。それにフライデーでの不倫キスシーンが決定打に。
- 離婚を機に、絶縁状態だった母親に「もう一度親子を始めよう」謝罪。関係を修復している。
- 17歳年下の女優「小山あずさ」さんとの熱愛が2019年発覚。内野聖陽さんの母親とは二人で過ごすほど仲良し。結婚するかはいまのところ不透明。
- 一方、離婚した一路真輝との子供(長女)の親権は一路真輝が持つが、頻繁に内野聖陽と会うような関係であり、お婆ちゃん(内野の母親)とも仲が良い。
内野聖陽さん、プライベートではいろいろゴタゴタがあったようですが、好きな俳優さんです。またあっと驚くカメレオン演技ぶりで、楽しませてくれることを期待しています。
最後までご覧いただきありがとう御座います。
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