【ミラクルひかる】原宿の美容師時代が壮絶!表参道で10時間やり続けたのはイジメが原因?

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画像:https://katubozi.at.webry.info/

宇多田ヒカルさんのモノマネで一躍有名になったミラクルひかるさん。芸名も宇多田ヒカルさんの大ファンだったことが由来なんですよね。

そんなミラクルひかるさん。実はものまね芸人を目指していたわけではなく美容師になるべく実家のある兵庫から高校卒業後に上京。

それが4年後には芸能の世界に転身しているのですが、どんな経緯だったのでしょうか?テレビでのミラクルひかりさんは、屈託なく豪快に笑うイメージから、ぶっ飛んだ性格の方なんでしょうか?

男子芸人から付き合ってみたい芸人とモテモテのミラクルひかる。その素顔や芸人になるまでのいきさつについて調べてみました。

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ミラクルひかる。カリスマ美容師になるために上京

ミラクルひかるさんの出身は兵庫県豊岡市。1980年4月9日生まれの44歳。ご実家は美容院を営んでいたため、自分も美容の仕事が好きでカリスマ美容師になるため、高校卒業とともに上京し美容の専門大学に進学しました。

東京八王子市にある山野美容芸術短期大学という大学ですが、卒業して原宿の美容院に美容師として就職。自分がモノマネ芸人になることはまったく考えてなかったといいます。

美容院での悲惨な2年半…もう辞める!

本人があるインタビューで語っていましたが、就職した美容院が厳しいところでイジメ当然の扱いをされて体がボロボロになってしまったとか。

年中無休で休めなく、寝られない、食べられない、殴られる、坊主にされる…だったそうです。これって体罰やイジメの類いですよね。

坊主頭になって顔に落書きして、全身タイツ着て原宿で1日10時間くらい路上でものまね芸披露して客引きしてた。

引用元: http://www.jimore.net/jmagazine/

原宿の道端で、丸坊主で顔には落書きの全身タイツでモノマネって!そのときから宇多田ヒカルが持ちネタだったそうです。

チラシ配ったり、カットモデルをハントして店に連れいくのが仕事だったのですが、女の子たちの気を引くために「ちょっと見て行ってください」とモノマネを10時間もするって過酷そのもので、栄養失調みたいになってしまったそうです。

当時の月給は8万円という安月給だったそうです。平成12年で1日10時間の労働。しかも休日なしって、バイトでも少なくともこの3倍は稼げるハズ。

それでも自ら辛い所に身を置かなきゃとか、辞めたら負けだという意地があったので、辞めずにいたそうです。そんなところを偶然、地元から上京してきた友達が見つけ「洗脳じゃないんだから、目を覚ましてよ」と説得され、有給休暇を取ることに…

有給休暇を下さい…と打診したら「お前!」ミラクル「へっ?」

有給休暇の申請をすると美容院から思いがけない言葉「お前、1ヶ月頭を冷やしてこい」と長期休暇が実現し実家で養生することに。お店側も壊れていくミラクルさんには気づいていたんですね。

1ヶ月後、東京に戻ると…また頭を丸刈りにされ、今度はカエル風にされたとか…ん?カエル風ってメイク?カエル色の全身タイツとか?

結果、精神的に追い詰められ「もういいや、私は負け犬だ」と2年半で美容院は辞め、芸人の世界に!…ではなくエスティシャンに転身。まだ美容の世界を捨てられなかったそうです。

美容師としての素質はなかったのかな?当時を振り返って「美容の仕事は好きだったけど、一番ではなかったし、向いてなかったんだと思う。」といっているので。

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同僚の一言で、人生最大の転機が!

エスティシャンになってからは給料は人並み水準になったようですが、それでも貧乏生活は続いたそうです。というのも今度はダイエット食品とか大量に買わされたから。

もうそのころには「こんな人生なら死んだ方がマシだ」と思いながら生活していたそうです。かなりヤバイ精神状態だったのですが、それを救ったのが「あんた、芸人になればいいのに」という同僚の一言。

「どうせなら本当に好きなことをしてやる」とタレント事務所のオーディションを受け、ものまね芸人に。

一年も経たないうちに、ものまね芸人の登竜門である『ものまね紅白歌合戦』に登場し一気に人気に火が付いたのですが、そのときも宇多田ヒカルのモノマネでFirst Love。

歌唱力が無くては歌えない難しい曲を…衝撃的でした。2005年4月のこと。もうすぐ25歳になる田村梨果(たむらりか:本名です)がミラクルひかるとして誕生したときです。

その時の映像なんですが、フジテレビの公式チャンネルではないのですが、YouTubeに「ミラクルひかる 初登場」という動画投稿がありました。興味のあるかたはYouTubeで観てくださいね。

40歳!ミラクルひかるチャンネル開設!

2020年の新型コロナウイルスの影響で営業ができなく巣ごもり生活に入ったミラクルさん。本人曰く、巣ごもりで今まで以上にものまねをやる気になったそうです。

以前は、いろんな人に会ったり忙しく仕事をしていると気が散り、ものまねに集中できなかったのが、コロナ禍で家にいて一人でずっとテレビやYouTubeを見ていると、「この人、面白いなぁ」とか「あの人のまねをしたいなぁ」と自然にものまねをやりだしている自分がいるんだとか。

巣ごもり生活の気付きから遂に40歳でYouTubeデビューしました。一番人気がいまのところ「YouTubeで独特なテンションになる広瀬香美さんのものまね」という動画。うわ~これ広瀬香美さんに許可もらってるんかな?ちょっと怖いものがあるんですけど。笑

【ミラクルひかる】YouTubeで独特なテンションになる広瀬香美さんのものまね
ミラクルひかるチャンネル
YouTubeで独特なテンションになる広瀬香美さんのものまね

似てるというかミラクルひかるのフィルターを通して広瀬香美さんのテンションをモノマネするとこうなるんですねぇ~

広瀬香美さんもYouTubeチャンネルを開設しているのですが、パロっているオリジナルの動画がこれ。また違う意味で私は戦慄を憶えました(笑)確かに独特なテンションなんですが足弾きシーンは7:45辺りに登場します。

広瀬 香美 Official YouTube channel
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ものまね初ネタは、トシちゃん!

やっぱりモノマネはミラクルさんにとってライフワークなんだと思います。実家が美容院であったため憧れの職業として何の疑いも持たず美容師の道に進んだのですが、本当に好きなのことはモノマネ。

モノマネを始めたのは小学3年生の時だそうです。初ネタは田原俊彦さん(トシちゃん )ただちょっと変わっていて本当のトシちゃんのモノマネではないんです。

というのもモノマネを始める切っ掛けを作ったのは友達が「田原俊彦のモノマネをするコロッケさん」のモノマネをしていたところから。それを見て「クソッ、私にもできる」とミラクルさん。

初ネタはなんと『「田原俊彦のモノマネをするコロッケさん」のモノマネをする友達 』のモノマネ(笑)それがウケて小学校の時に既に20個ぐらいのレパートリーを持っていたそうです。

小・中・高校とずっと周りから「モノマネの人」という感じで見られていたようですが、学校の先生のモノマネもあり、あくまでも友達とのコミュニケーションとして趣味の域だったんですね。

でもこれがあったからこそ、いまのミラクルひかるがあるのですから!エスティシャンの時の同僚に「芸人になればいいのに」と背中を押され、そのとき気付いたことを次のように表現しています。

「本当に好きなこと、自分に向いていることに目をつぶって、それ(美容師)を生業にして行くのはズルい」 「今、好きだと思っている仕事が、自分ができる仕事、向いてる仕事とは限らない。あなたが、ズルいって思うことや羨ましいって思うことをやって生きていけばいいんだよ」

自分にとって、向いていることに蓋を閉めて、向いてないことに必死になっている人の方が、多い気がする。

引用元: http://www.jimore.net/jmagazine/

うーん…彼女にとって美容師は憧れで好きな仕事だけど、向いている仕事ではないことを同僚のひと言が気付かさせたんですね。ミラクルひかるって、一途な人というかピュアな心を持っている人なんじゃないかな…

先に紹介したユーチューブの広瀬香美さんのモノマネ動画では「自宅撮影を終えての独り言」として素のミラクルひかるが登場しています。テレビで見る一発勝負のモノマネ芸しか知らなかった私にとって、彼女の奥深い内面を垣間見た気がしました。

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まとめ

ものまねタレントのミラクルひかるさん。実はカリスマ美容師を目指し上京したのですが好きなこと=向いていないに気付かず辛い経験をしていたんですね。

  • ミラクルひかるの出身は兵庫県豊岡市。
  • 本名:田村梨果(たむらりか)
  • 小学校3年でモノマネをする友達に触発されモノマネを始める。
  • はじめてのネタは「田原俊彦のマネをするコロッケのマネをする友達」のものまね。
  • 小・中・高校とずっと周りから「モノマネの人」で通す。
  • 実家が美容院を営んでいることから、憧れの職業は美容師だった。
  • 高校卒業後、東京の美容専門の短期大学に進学。卒業後は原宿近辺の美容院に就職。
  • カリスマ美容師を目指すも年中無休で休めなく、寝られない、食べられない、殴られる、坊主にされる悲惨な生活でボロボロになる。
  • 美容院での仕事は、坊主頭になって顔に落書きして、全身タイツ着て原宿で1日10時間くらい路上でものまね芸披露しての客引き。
  • 2年半で美容院を辞め、エスティシャンになったが貧乏生活が続く。
  • 「こんな人生なら死んだ方がマシだ」と思い悩んでいたところ、エスティシャンの同僚から 「あんた、芸人になればいいのに」と言われやっと気づく。
  • 24歳でモノマネ芸人としてテレビ出演しすぐさまブレイク。そのときのネタは大ファンである宇多田ヒカルのFirst Love。

39歳で一般男性と結婚したミラクルひかるさん。YouTubeチャンネルを開設したのはその翌年。「40歳になったので、ここからの10年間、腐らず、飽きられないよう頑張ります。タレントって賞味期限が来るのが早いですからね」と語っています。

これからもライフワークであるモノマネを、気負わず自然体で楽しんでその姿を披露してくださいね♬ 最後までご覧いただき有難うございます。

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