遠藤憲一の妻は倶知安の女優!?タレント辞めて…なんとアゲマンに!

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画像:https://www.cinematoday.jp/

最初、テレビドラマでレギュラー出演する遠藤憲一さんを見たとき「恐い顔」以上に「違和感」をもったのが私の第一印象でした。それだけ衝撃的なお顔だったのです(ごめんなさい)。

ですが次第に彼の演技を見ているうちに怖い顔からでてくるコミカルな笑顔や演技がとても笑わせてくれ「面白い役者だな」にすり替わっている自分がいました。

遠藤憲一さんはもともとVシネマや映画でのヤクザ役など悪役専門の俳優さんだったのですが、40代後半でテレビドラマでも頻繁に出演するようになり一躍人気の役者に。

そのブレークの切っ掛けには遠藤憲一さんの妻の存在があるというのです。その妻という方ですが「倶知安」って地名や「女優」「タレント」なんとことばが出てきますがいったいどうゆうことなのか?遠藤憲一さんとその妻について調べてみました。

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遠藤憲一の妻は倶知安の出身の元女優

遠藤憲一さんの奥さんって宝塚女優?って話がよくでるようですが、宝塚出身ではありませんでした。元女優であった時期があったのは確かで、遠藤憲一さんとの馴れ初めは奥さんが女優として活動していたときだそうです。

倶知安(くっちゃん)というのは北海道は札幌から直線で南西50キロくらいの町でニセコスキー場や羊蹄山がある地域で、そこは遠藤憲一さんの妻である昌子さんの出身地なんです。

遠藤さんが25歳のときに、劇団時代の仲間の自主公演に遠藤さんが脚本と演出を任され、看護師役で「こういう子がいるけど」と紹介されたのがひとつ年上の妻の昌子さんでした。そして4年間の交際の末、29歳で結婚しました。

なぜか結婚してしまった…って!?

結婚は「デキ婚」でも「潮どき」だから責任をとってなーんて理由ではなく(お子さんはいません)、ある日ふたりで映画を見に行った帰り居酒屋に寄って「結婚する!」と宣言したそうです。観た映画は元プロボクサーでタレントの赤井英和さんの自伝をもとにした映画「どついたるねん」なのですが、そこに結婚を決定づけるシーンはなかったはず。

遠藤憲一さん自身「あのとき、なぜ結婚しようと思ったのか?」いまでもその理由がわからないそうです(笑)うん、なんか分かるような気もします。結婚ってある意味「勢い」でしちゃうものですから…「どついたるねん」で「男気」とか「生きざま」なんか胸に込み上げるものがあったのかも?

恐妻家の妻とは最高の夫婦仲!…らしい?

妻の昌子さんと結婚して銀婚式(25周年)を超えていますが、昌子さんは恐妻家で有名なのだそうです。遠藤憲一さんはお小遣い制で奥さんから現金を貰っているそうです。以前はクレジットカードも持っていたのですが、あるときキャバクラで羽目を外したらしくかなりの請求が!明細を見た昌子さんは目の前でクレジットカードをハサミで切り刻んだそうです。(やるなー!昌子さん)

ほかにも、正月に「2時間だけ行ってくるわ・・」と家の近くで行われている新年会に止める昌子さんを尻目に参加したときがあったそうです。そしてなんと深酒をしてしまい3日間帰って来なかったことがありました。

遠藤さんにはキャバクラ豪遊だけではなくお酒での失敗談が数々あるらしく、遠藤憲一さんの個人事務所の社長兼・マネージャーをしてい昌子さんは「もう解雇!事務所は解散!」とクビ宣言。さらに「家を出ていくか、酒をやめるか」の選択を迫ったそうです。

遠藤さんは「お酒をやめます」と宣言。以来、現場での打ち上げでもノンアルコールのビールで済ませているそうです。一般的な生活はハチャメチャなのか、とても普通な生活?はできないようでいまの遠藤憲一さんがあるのも奥さんのおかげなんですね!

遠藤さん自身、昌子さんのことを「奇跡の出会い」であり「おいそれとめぐり合えない間柄」と語っています。

女房と自分をつないでいるのは、ある部分で信頼し合っているからだと思います。そういう意味では、おいそれとめぐり合えない間柄、自分にとって、彼女はそうはめぐり合えない人。ある種、奇跡の出会いでした。女房はどう思っているかわかりませんけど(笑)」

引用元:エキサイトニュース

ここまでいうのもそのはず。遠藤憲一というマイナーな悪役俳優をオチャメな俳優へとブレークさせたのは、昌子さんが遠藤憲一さんの個人事務所の社長兼、マネージャーを引き受けたときからなんです。

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遠藤憲一の妻・昌子さんはアゲマンだった!タレント辞めた理由は?

遠藤憲一さんの妻・昌子さんは元女優なのだそうですが、画像は見当たらないしタレントを辞めた時期も定かではないのですが、芸能事務所の社長兼マネージャーを引き受けるくらいですから、芸能界の裏方に精通しずっと仕事をしていた方だと思います。

遠藤憲一さんが個人事務所を設立したのは2007年で46歳のとき。それまで21歳のときからお世話になっていた事務所からは、社長が病気と高齢なため「事務所は自分の代で終わり」といわれていたことからでした。

ほかの事務所への移籍というのが自然な流れと思いますが、なかなか自分のスタイルにあった事務所が見つからなかったのでは?そのときはまだブレークする前で、仕事といえば映画でのヤクザ役ぐらいでしたから事務所探しは大変だったのかもしれません。

考え抜いた末に個人事務所の立ち上げを決心。ただその前提として奥さんが「マネージャーになる」というものでしたが、奥さんの返答は「絶対イヤ!」だったそうです。奥さんからすれば私生活でハチャメチャな遠藤憲一さんを仕事でもサポートするマネージャーなんて大変だと思ったはず。

3年間ねばり、妻がマネージャーに!

遠藤憲一さんのマネージャーになることに妻は「絶対イヤ!」。それでも粘りお願いしつづけ、3年後にやっと「OK」の承諾を貰い、個人事務所の立ち上げに動きます。自分をマネージできるのは妻しかいないという遠藤憲一さんの執念だったのでしょうね。

そのときマネージャーを引き受ける条件として、昌子さんが言った一言が「これからは、私のやりたいようにやらせてもらいます」だったそうです。これが俳優・遠藤憲一のターニングポイントだったのです。

妻がいち早く遠藤憲一の魅力を見抜いた!そしてブレーク!

個人事務の立ち上げ以降、これまでの遠藤憲一の演技といえば強面のヤクザ役が多かったのですが、昌子さんは悪役意外の仕事を取り入れていきました。これが「私のやりたいようにやらせてもらいます」であり、遠藤憲一をプロディースするということでした。

遠藤憲一の役者としての引き出しの多さにいち早く気づいたのは紛れもなく妻の昌子さん。これだけの演技力があるのに見る人が限られる悪役だけにしておくのは勿体ない。いろいろな人たちに遠藤憲一を見てもらおうと考えたそうです。そして、いままでVシネマや映画だけだっ悪役の仕事からコミカルな役や父親役などでテレビへの出演を増やしていきました。

遠藤憲一自身、いままでの仕事でそれなりに満足していたのに、役の幅を広げていくことに随分葛藤があったようです。それでも悪役以外の演技に評判が集まり次のオファーも増えてくると、昌子さんの言うことを聞くようなっていったそうです。

昌子さんは遠藤さんの演技が芳しくないときは「面白くない!」とはっきり批評するようです。これを真摯に受け止め次の役に励む遠藤憲一さん。そして演技が光ったときは「よかったんじゃない」と優しく褒めることも忘れないようで、遠藤さんは「それが一番うれしい」と言っています。

夫婦であるからこそ言える距離感で、遠藤憲一さんの役者としての可能性を最大限に引き上げる昌子さん。アゲマンと言わずしてなんと言えましょう!

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まとめ

今回は、強面な外見の遠藤憲一さんが40後半という長い下積みからどのように人気俳優になったか?そして妻である昌子さんとの関係について調べてみました。

  • 遠藤憲一の妻・昌子さんは一つ年上の北海道は倶知安町(くっちゃんちょう)の出身で元女優。宝塚女優という噂があるがそうではない。
  • 遠藤憲一は29歳のとき妻・昌子さんと結婚。出会いは劇団時代の仲間から脚本と演出を任され、看護師役として「こういう子がいるけど」と紹介されたことから交際がスタート。
  • 遠藤憲一の妻・昌子さんは現在タレント業はしていないが、芸能界の裏方の仕事をずっとしてきたようだ。
  • 遠藤憲一の役者としてのブレークは個人事務所を立ち上げたときに妻・昌子さんが社長兼マネージャーになったときから。
  • 昌子さんがマネージャーになる条件として「これからは、私のやりたいようにやらせてもらいます」で俳優・遠藤憲一をブレークさせた。
  • 遠藤憲一の役者としての引き出しの多さに気づいたのは妻・昌子さん。「私のやりたいように」とは、遠藤憲一のいままでの悪役専門からコミカルな役など幅を広げた仕事を積極的にとり、遠藤憲一をプロデュースしたことでブレーク。

いまでもVシネマなどで往年の役柄もこなすそうですが、強面なのにオチャメな役や悪人面なのにいい人役なんてギャップがいい感じで演技に生かされていますよね。これからも是非ひと味ちがった演技を見てみたいものです。

最後までご覧いただき有り難うございます。

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